勤務医のころは、病院や医療法人が退職金を積み立ててくれていました。開業すると、その仕組みはなくなります。院長の退職金を積み立てるのは、院長自身しかいません。
もうひとつ、開業して最初の確定申告で多くの先生が驚くのが税金の額です。売上が伸びるほど所得税と住民税が重くなり、「手元に残らない」と感じるようになります。
この2つの悩みに同時に効く国の制度が、小規模企業共済です。掛金は全額が所得から差し引かれ、受け取るときも退職金と同じ扱いで税金が軽くなります。
ただし、歯科開業医にはひとつ大きな落とし穴があります。医療法人の理事長になると、小規模企業共済には加入できません。入れるのは、個人で開業している間だけです。
私の同期の歯科医師は、開業から約1年で医療法人化し、小規模企業共済を手放しました。数年たった今もこう話しています。
「役員報酬を上げるたびに税金が増えていく。小規模企業共済に入れる立場のままでいれば、と今でも思う」
この記事は前編・後編の2本立てです。前編では「入る前に知っておくこと」を、後編では「受け取り方・税金・元本割れの条件」をまとめます。
前編の結論
- 医療法人の理事長は加入できない。入れるのは個人開業の間だけ。 医療法人化を考えている先生ほど、早く入ることが大切
- 個人開業で、正社員が5人以下なら加入できる。加入後に正社員が増えても続けられるので、開業直後に入るのがいちばん有利
- 掛金(月1,000円〜7万円)は全額が所得控除。課税所得1,000万円で月7万円なら、年約36.7万円の税金が軽くなる
- 払い込んだ掛金の範囲で、機器購入などの事業資金を借りられる
小規模企業共済とは:院長が自分で積み立てる「国の退職金制度」
小規模企業共済は、個人事業主や小さな会社の役員が、廃業や引退に備えて自分で退職金を積み立てる制度です。国が全額出資する独立行政法人・中小企業基盤整備機構(中小機構)が運営しています。
1965年から続く制度で、令和4年度末の在籍者は161.2万人、資産総額は約11兆円です。在籍者の平均掛金は月4.3万円で、共済金の平均支給額は1,116万円でした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 掛金 | 月1,000円〜7万円(500円単位で自由に設定) |
| 払込方法 | 口座振替(月払い・半年払い・年払い) |
| 掛金の税金 | 全額が「小規模企業共済等掛金控除」として所得控除 |
| 受け取るとき | 一括なら退職所得、分割なら公的年金等の雑所得 |
| 予定利率 | 1.0% |
| 借入れ | 払い込んだ掛金の範囲内で事業資金を借りられる |
歯科開業医が加入できる条件
加入できるかどうかは、図1の2つの質問で決まります。
業種によって上限が違い、商業・サービス業は5人以下、建設業・製造業などは20人以下です。歯科医院はサービス業の区分として、5人以下で判断するのが一般的です。
数えるのは正社員として雇っている人だけです。パート、アルバイトなど期間を定めた臨時の従業員、家族従業員、院長本人は数えません。たとえば、正社員の歯科衛生士が3人、パートの歯科助手が4人いる医院は「3人」です。
そして最も重要なのが次の一文です。中小機構は「その後従業員の数が増加して要件に該当しなくなったとしても共済契約は続けられます」と明記しています。条件を見るのは加入した時点だけです。医院が成長して正社員が6人、7人と増えてからでは、もう加入できません。
加入できない人
- 医療法人の役員(理事長・理事)。公式資料で「医療法人、学校法人、宗教法人、社会福祉法人」等の役員は対象外と明記されています。別に株式会社や個人事業を持っていても、医療法人の役員である限り加入できません
- 勤務医など給与所得者(開業前の勤務医はまだ加入できません)
- 中小企業退職金共済(中退共)などの被共済者
配偶者も加入できる場合がある
個人事業主1人につき、共同経営者2人まで加入できます。ただし、院長と一体となって経営の重要な意思決定をしていること、事業の執行に対して報酬を受けていることが必要です。加入時には共同経営契約書の写しや、報酬の支払いが確認できる書類も求められます。
「配偶者が受付を手伝っている」だけでは要件を満たしません。検討する場合は、税理士と中小機構に確認してから進めてください。
メリット1:掛金が全額、所得から差し引かれる
払い込んだ掛金は全額が所得控除になります。月7万円なら年84万円です。生命保険料控除のように、上限が数万円で頭打ちになることはありません。
掛金の額ごとの節税額は、中小機構の早見表で次のとおりです。
| 課税所得 | 掛金 月1万円 | 月3万円 | 月5万円 | 月7万円 |
|---|---|---|---|---|
| 400万円 | 36,500円 | 109,500円 | 182,500円 | 241,300円 |
| 600万円 | 36,500円 | 109,500円 | 182,500円 | 255,600円 |
| 800万円 | 40,100円 | 120,500円 | 200,900円 | 281,200円 |
| 1,000万円 | 52,400円 | 157,300円 | 262,200円 | 367,000円 |
払い込んだ84万円は将来の自分の退職金として積み上がります。「税金として払うはずだったお金を、自分の口座に移している」と考えるとわかりやすいと思います。
正直に書いておくと、開業1年目は所得が低い、あるいは赤字になることも多く、その年の節税効果は小さくなります。それでも早く入る理由は、加入条件が「加入した時点」で判定されることと、このあと書く医療法人化の問題にあります。
メリット2:掛金の範囲で事業資金を借りられる
払い込んだ掛金の範囲内で、事業資金を借りられる「契約者貸付制度」があります。担保や保証人は不要です。借りられる額は、掛金を払い込んだ月数に応じて掛金の7〜9割です。
| 種類 | 利率(年) | 上限 |
|---|---|---|
| 一般貸付け | 1.5% | 2,000万円 |
| 傷病災害時、緊急経営安定、事業承継、廃業準備など特別貸付け6種 | 0.9% | 各1,000万円 |
歯科医院の経営では、CTやマイクロスコープ、ユニットの入れ替えなど、どうしても借入れが必要な場面があります。同期の先生は「自分が積み立てたお金から借りられるなら、機器への投資をもっと決めやすかった」と話していました。院長が病気やけがで診療できない時期や、災害で休診したときの運転資金にも使えます。
医療法人化すると入れない:同期の先生が今も悔やんでいること
同期の先生が解約した理由
私の同期の歯科医師は、2018年ごろ、私とほぼ同じ時期に開業しました。小規模企業共済のことは自分で調べて知っていて、開業前から続けていた副業の個人事業で、すでに掛金月7万円の満額で加入していました。
開業から約1年後、彼に海外留学のチャンスが巡ってきました。留学中は別の歯科医師を管理者に置いて医院を任せる必要があり、そのために医療法人化を選びました。
医療法人の役員になると、別の会社や個人事業を持っていても、小規模企業共済には入れません。副業で加入していた彼の契約も続けられなくなります。彼はそれを知ったうえで医療法人化を選び、解約で戻ってきたお金を留学費用にあてました。「アメリカで歯科医師免許を取って、帰国しないつもりで行った。だからそれでいいと思っていた」と言います。
数年後に感じた後悔
帰国して医院の経営に戻ってから、考えが変わりました。彼が挙げた理由は2つです。
- 役員報酬を上げるたびに、税金も増えていく。 報酬を上げるほど所得税と住民税が重くなります。月7万円の掛金控除があれば、課税所得1,000万円の場合で毎年約36.7万円の税金を抑えられていました
- 機器への投資がしにくい。 小規模企業共済に入っていれば、自分が積み立てた掛金の範囲で借りられるので、投資をもっと決めやすかったと言います
今、彼はiDeCoと「はぐくみ基金」(はぐくみ企業年金基金)で老後に備えています。それでも、医療法人の理事長でいる限り、小規模企業共済の枠は二度と戻りません。
医療法人化は、院長本人が小規模企業共済を手放すことと同じです。 副業の会社や個人事業を通して入る抜け道もありません。医療法人化を決める前に、この枠を失ってよいかを必ず天秤にかけてください。
個人開業の期間が短くても、入る価値はある
「数年後に医療法人化するつもりだから、意味がない」と考える先生もいます。実際は逆で、医療法人化を考えている先生ほど、個人開業の間に入る価値があります。
医療法人化したときは「準共済金」を受け取ります。公式資料の例では、おおむね払い込んだ掛金の合計で元本割れせず、税法上も退職所得として扱われます。その間に受けた所得控除は、そのまま得をしたことになります。
ただし準共済金は12か月以上払い込んでいないと受け取れず、掛け捨てになります。開業から1年以内に医療法人化することが決まっているなら、加入は見送った方が無難です。
医療法人化した後にできること:MS法人の役員になった家族は入れる
株式会社などのMS法人(メディカルサービス法人)の役員であれば、会社の役員として加入できます。業種がサービス業なら、正社員5人以下が条件です。
同期の先生も、家族には医療法人の理事ではなくMS法人の役員になってもらい、その家族が小規模企業共済に加入しています。逆に言えば、家族を医療法人の理事にすると、その家族もMS法人を通して加入することはできなくなります。医療法人の役員を誰にするかは、この枠も考えて決めてください。
- 商業登記簿に役員として登記されている必要がある
- 家族が医療法人の職員として雇われ、給与を受けている場合は「給与所得者」として加入できない可能性がある
- MS法人を作る目的や役員報酬の決め方には税務上の注意点が多い。必ず税理士と相談する
掛金はいくらにするか:開業1年目の決め方
- 生活費と借入れの返済を引いた後に、毎月確実に残る額を出す。開業初期は資金繰りが最優先です
- その範囲で、20年続けられる額から始める。20年未満の解約は元本割れし、減額も不利です(詳しくは後編)
- 所得が安定したら増額する。増額は月1回まで、いつでも手続きできます
年払いにする方法もあります。また、1年以内の前納分は、払い込んだ年の所得控除の対象になるのが一般的な取扱いです。12月に「今年は所得が多かった」とわかったときに、前納で控除を増やす使い方もできます。
加入の手続き
加入の窓口は、商工会、商工会議所、青色申告会、銀行や信用金庫などの金融機関です。現在はオンラインでも申し込めます。
必要書類のうち、個人開業の先生にとって大事なのは、所得税の確定申告書の控え、または開業届の控えです。開業1年目で確定申告をまだしていなくても、開業届の控えで申し込めます。
加入後は、毎年届く「掛金払込証明書」を使い、確定申告で「小規模企業共済等掛金控除」の欄に記入します。
同期の先生から、開業したばかりの先生へ
最後に、同期の先生に「開業したばかりの後輩に、お金の面でひと言伝えるなら」と聞いてみました。返ってきたのは、制度の話ではありませんでした。
「まず、自分のクリニックで何をしたいのか、コンセプトをはっきりさせること。ほかの医院と同じことをしているだけでは、特色のない医院になる。コンセプトが決まっていれば、設備に投資するときも専門的な機器に集中して投資できる。それが安定した経営につながる」
もうひとつ、彼が強調していたのは情報の取り方です。顧問の税理士から小規模企業共済の話が出ることもあります。それでも、「学校と違って、社会に出たら情報は自分で取りに行くしかない」と言います。彼自身、小規模企業共済は誰かに勧められたのではなく、自分で調べて見つけた制度でした。
開業医の退職金は、誰も積み立ててくれません。でも、国が用意した仕組みを知っていれば、税金を軽くしながら自分で積み立てることができます。そしてその仕組みには、個人開業の間しか使えないものがあります。
後編では、受け取り方と税金、元本割れする条件、iDeCoとの違いを図で解説しています。 後編:受け取り方・税金・元本割れの条件を読む
参考資料(2026年10月4日確認):中小企業基盤整備機構「小規模企業共済制度 制度のしおり(令和8年4月改訂版)」/中小機構「加入資格」「掛金について」「契約者貸付制度」各ページ/中小企業庁「小規模企業共済制度の現状について(令和6年1月)」。制度の内容は改正されることがあります。加入前に中小機構の最新情報をご確認ください。
個人開業の間に、受取額を試算しておきましょう
医療法人の理事長になると加入できません。中小機構の公式サイトでは、掛金と加入年数から受取額と節税額のシミュレーションができます。加入窓口とオンライン申込みの案内もここから確認できます。
